大阪府羽曳野市にある占いができる神社です。

由緒・御祭神

御祭神 経津主神 経津主姫神 二座

当社御祭神は上記の二神で昔から武勇の神で我国武将の始祖である天照大神この国土平定のとき、武功をたてられ、出雲の神々を帰順せしめて天孫降臨の基いを築かれた神であります。

御神徳

道開き 勝運 健康長寿 縁切り 縁結び

由緒沿革

創建年代は不詳だが、醍醐天皇延喜の制に式内名神大社に列し、祈年月次新嘗の案上幣帛に預かった有数の名社で、文徳天皇仁寿3年蔵寮幣使によって杜本社勅願祭を執り行われ、清和天皇貞観元年正月甲申従五位下より正四位下に特進せられ、仝7月丁夘良峯朝臣経世を使として神宝奉幣された。

又、前記延喜の制と共に4月・11月の上申の日を祭日と定められ内蔵寮属一人を差しつかわして幣帛と共に馬寮走馬十頭を賜った一節によると、人皇十代崇神天皇のころ香取明神(経津主神の別名)十四世神孫伊波別命(いわわきのみこと)がこの地は祖神経津主神の陵墓のところであるとしてこの地に住み給い、祖神をお祀りされたのがこの杜本神社のはじまりであります

又、後醍醐天皇時代に社領を寄進されたが天正年間織田信長が高屋城を攻めた時兵火によって社殿宝物を失い、豊臣氏の頃社領を没収され一時衰微した。神仏習合時代に金剛輪寺が創建され社僧によって奉仕されてきたが、明治初年神仏分離によって寺は廃寺となり、神社は村社に列し神饌幣帛料供進社に指定されました


境内末宮

維日谷稚宮
御祭神 反正天皇(みずはわきのみこと) 伊波別命(いわわけのみこと)
    遠登売命(おとめのみこと) 三柱

仁徳天皇崩御の後、皇位を巡って騒乱があったとき、反正天皇が大和国石上神宮に向かわれるに際し、この地に来られ道に迷われたときに一人の少女(遠登売命)に会い、その忠言に従って、この地に一夜行在されて禊(みそぎ)された旧蹟地であります。

明治42年頃まで駒ケ谷三丁余、松林の中に祭祀されていたが当宮に移されたものである。
大和の遠飛鳥に対し浪速の宮に近いことから「近飛鳥」といわれたところであります。

 此の時 天皇は
  「あふさかに あふやをとめをみとえば
      たゞには のらじたぎまじをのる」
 と歌ひ給ふ

南木神社
御祭神 正一位橘朝臣楠正成公を祀る

創建年代不詳。正行が父正成公の姿を刻み、この地に祀られたものと伝えられております。

天満宮

光国神社

光吉神社

天照皇大神宮

御亀石

亀は土地の神水の神として崇められています。又、「鶴は千年、亀は万年」と申しまして延命の象徴とされております。当社には往古より祀られ、村人の崇敬を集めております。

遺 跡

大楠公首塚

正成公戦死された頃、乱世の為河内に送られて来た公の御首を密かにこのところに隠して、敵の目を逃れたという。

隼人石

本殿前左右にあって自然石の板名に獣面人身を刻んだもので、高さ約1メートル・幅50センチの一対であります。我が国では奈良の那富山墓(なほやまばか)と杜本神社だけにある獣頭人身が刻まれた大変珍しい霊験あらたかな石造物で、実際に拝観できるのは当宮のみであります。拝観は神域にお入りいただくため御祈祷を受けていただきます。(拝観初穂料 三千円・御祈禱料込)※1グループ5人までお受けいたします

藤原長手公の墓

奈良朝時代、聖武天皇の皇女、称徳天皇の時に左大臣に光仁天皇の時に正一位左大臣になった人物で、死後大政大臣を贈られた。

社 寶

・後醍醐天皇御倫旨 ・御村上天皇御倫旨 ・長慶天皇御倫旨 ・御村上天皇寄附状 ・大楠公石碑建立依頼状(和田正遠筆) ・大楠公祭修の首掛鏡 ・ 葺屋の荘三軸(楠正儀筆) ・南木神木額(正行公作) ・古劒、土鏡等

鳥居